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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
新年ということで、気持ちを切り替えたい
すでに音楽家としての活動の場として、「天の安川」を開設しましたが、怪獣の子供としての「さとり」や「気づき」を書いていく場も、新たに設けたいと思います。
また、怪獣の子供という名前についても、今後音楽家とそのほかの運動家・活動家してのものとを区別したいと思っています。
決して私がいなくなるわけではありません。
ただ、音楽家としての評価と、反アニメ活動などの評価とを、混同されるのに嫌気が差しましたので、一度リセットしたい、という意思表示です。
正直、私の音楽動画に訪れる人たちは、すでに私に対して何かしらの感情―その多くは敵意―を感じてらっしゃる。
私が、それに気づいていないわけがないでしょう?
私だって、音楽を非難されたら、嫌気が差します。決して言葉に傷つくわけではないですが、音楽が穢されているように感じてしまうのです。
ただし、皆さんには、新しい活動家としての名前も必ずお伝えします。
これまでにあげた音楽動画も、決して消したりはしません。
詳細は今後考えますが、私のファンでいてくれている人たちを、自分の都合で混乱させたり、突き放したりするようなことはしないつもりです。
それでも、結局は皆さんを混乱させてしまうことは分かってはいるのですが、、、
この数ヶ月、絶え間ない中傷―活動にかかわりの無い中傷―に堪えてきた私の心境を、お察しください。
ちなみに、移転先のブログはすでに開設済みです。すぐに公開しますので、楽しみにしていてください。
2011/01/13 ヘンシウ 仕分け:日記 感想:34 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
どうも以前の記事(第九地区を見ました)で、僕の好きな映画を教えてほしいなどとあったもんで、紹介してみよう思います。
ついでに、絵画、ゲーム、音楽、文学についても。
自分でいうのもなんですが、かなり鑑識のあると思うので、信用してもらってええです。
是非ご存じない作品は楽しんでください。
まともな娯楽を知らずに育った人は、日本アニメなんてばかばかしいってことがわかりまっせ。
まずは映画。正直、あまり、映画は見ないですね。
○映画
邦画
・黒澤明「七人の侍」「乱」「隠し砦の三悪人」
・宮崎駿「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ルパン三世カリオストロの城」
・「女囚さそり」
洋画
・”BackToTheFuture”
・”CUBE”
・”ToyStory”
・”・RAINDEAD”
○絵画
日本画
・長谷川等伯
・狩野永徳
・河鍋暁斎
・葛飾北斎
・歌川国芳
・尾形光琳
・菊池契月
・狩野芳崖
洋画
・ゴーギャン
・ピカソ
○文学
・上田秋成
・岡本太郎
・谷崎潤一郎
・貴志祐介
・筒井康隆
・三島由紀夫
・安部公房
・泉鏡花
・ジュール・ヴェルヌ
○音楽
沢山ありすぎて選べないが
・ドビュッシー
・細野春臣
・チャイコフスキー
※追記
ゲームを忘れてましたね
○ゲーム
・ゼルダの伝説時のオカリナ
・大神
・もっともっとインクレディブルマシーン
2011/01/09 ヘンシウ 仕分け:日記 感想:35 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
紅白歌合戦が終わった。
歌手別視聴率のワースト3にAKBがランクインした。
これが、世間の日本アニメ(オタク文化)に対する評価だ。
マスコミが盛んに持ち上げるからといって、鵜呑みにしている情報弱者よ。
目を覚ませ。
君たちは、”日陰者の自分たちの文化がメジャーに評価されることに喜びあがる人種”であることを見透かされ、その特徴を利用されているだけだ。現代の若者が消費しなくなったその穴を埋めるために、ずるがしこい大人たちはオタクをあおりたて、ひとときの偽りのブームを作り出しているだけなのだ。
”萌え”などという気持ち悪いものが評価されていると、本気で思ったのか?
オタクよ。
残念ながらお前たちは、消費者として利用された社会の落伍者であり、ただのピエロにすぎない。
”これまでナシだったものが、敢えて一周してアリになった”とでも思っている、ミーハー諸君。
いいものは良い。悪いものは悪い。
気持ち悪いものはどこまでいっても気持ち悪いのだ。
さて、ここらで、日本のアニメが下劣な理由をまとめておきます
○美術性のなさ
○文学性のなさ
これらは今更言うべきこともない
これらの欠点について、アニメ作家たちは開き直っている節がある。
アニメはサブカルチャーであるから、これらの”高尚な要素”、つまり芸術性が欠けていてもいいのだ、という理屈である
大いなる間違いだ
俗物に限って、芸術を”読み解く技術””文脈の理解”を要する、難解なものであると考え勝ちであるが、実際にそういうアカデミズム的なお約束は芸術という文化の一部分にすぎず、また芸術の本質ではない
ハイカルチャーであろうと、サブカルチャーであろうと、芸術性というものは作品に欠かせない要素である
落語や娯楽小説にすら文学性があるように、文学や美術の楽しみはそのまま作品の娯楽性となりうる
それを楽しむのに必要なのは、知識や作法などではなく、むしろ純粋な”感性”だ。
作品を楽しむということは、読み手と書き手の感性と感性のぶつかり合いである。
これは批評家の仕事のように見えるが、実は違う。
批評家が自己を切り離して作品を評価するのであるのに対し(そうでない批評家が多いのは残念だが、それはおいておくとして、、、)、読者は飽くまで自己によって対決している。
自己の感性、人生観、哲学、経験を持っていてはじめて、フィクションは楽しめるのだ。
ところがオタクアニメの場合、受け手にも作り手にも生きた人生経験がないために、ただパズル的な楽しみや、あるいは性欲といった動物的な領域を刺激することでしかその価値は図られない。
だからアニメはつまらない。幼稚だと言われるのは偏見のためだ!などと言い張るオタクがいるが、とんでもないのだ。自分たちの見ている作品の浅さを見て見ろ。
尤も、そうした浅はかさを、「アニメは娯楽、娯楽はただ笑えて、感動できればいいんだよ」などと言って、吹き飛ばしたつもりになる奴がいる。見る側は何も考えずに椅子に座っていて、何も読み解く努力をしなくても、自動的に笑ったり感動してしまうような作品がいい作品だというのである。
大変な勘違いだ。
繰り替えそう。エンターテイメントに芸術性は不可欠である。高尚で複雑な哲学、これは人間の自然な欲求であり、そうした欲求を満たそうとする作品は全てエンターテイメントである。
フィクションで描かれる情熱、笑い、感動にすら、知性は影響する。
「アニメは娯楽で、浅くて(何も考えさせるものがなくて)当然なのに、それを分かっていない、偏見にまみれた人のせいで、アニメは馬鹿にされているのだ!」というのがオタクの主張だが、はっきり言おう、アニメは娯楽、そんなことはアニメ批判者は百も承知だ。
それをいうならシェイクスピアも、三島由紀夫も、村上春樹も娯楽なんである。でなければ、誰がお金を払い、望んで読もうとするだろうか。知の欲求がある正常な大人にとっては美術や芸術は娯楽なのであり、アニメのような美術的・文学的満足をなんらもたらさないものは娯楽として失格なのだ。
つまりアニメは笑えないし、感動できないのだよ。
いいか、偏見にまみれているのはお前たちのほうなのだ。
もし本当にアニメが娯楽だと言い張るのなら、どうしてあんなにも一部の病的な人間にしかもてはやされないのか。娯楽というのは誰にでも楽しめるよう作られたものなのだろ?
いいか、娯楽にも質というものがある。大人にとってアンパンマンが見るに耐えないように、アニメは単純につまらないから嫌われているのだ。「娯楽をつまらない意地から見向きもしない気取りやが、ポーズで嫌っているだけ」などという、つまらぬ思考停止状態から早く抜け出すことだ。
2011/01/04 ヘンシウ 仕分け:日記 感想:134 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル