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2024/11/22 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
わたしは三味線が好きである。腕は確かではないが、祖父の三味線を引っ張り出しては、ちんとんしゃんと弾いてみたりする。
そして無類のいぬねこ好きである。今はいないが、つい最近まで猫を飼っていた。
このことに対して、興味深い問題点を指摘した人がいる。矛盾しているというのだ。
三味線好きと猫好きは、両立すべきでない。彼はそう言い放ち、ご親切にもいかに私がしていることが間違ったことかを力説してくれた。
愛すべき、博愛主義者の彼は言う。
三味線には猫の皮がつかわれている。
おまえは猫好きだと言いながら、一方で猫の皮を使うことに賛同している!
飼っている猫の前で三味線を弾く事に、ためらいは感じないのか!
動物であろうと、娯楽のために殺すなど、人道に反している!
いやはや、驚いた。実に愛すべき、博愛主義者だ。そしておおばか者である。
まず、猫をかわいがっていることを、三味線を弾くことと対照的なことだと考えていることにびっくりである。
だからわたしは指摘してやった。
おまえは動物であろうと、人間に対するように優しくあれというのだが、その理屈でいうなれば、ペットを飼うというのは無理やり親から引き離され、誘拐された赤ん坊を、いやしのために金銭で買取り、監禁することに他ならない。
いやはや、当たり前すぎて、いいながら笑みを隠すことができなかった。
彼はさらに憤慨し、次のようなことを言った。
そうだとしても、お前は猫にえさをやって、かわいがってるだろう!
あまりにもあきれたので、話はそこで中断したが、内心では腹を抱えて笑ったのだ。
ああそうだね、かわいそうな猫のために、せめておれは幸せにしてやろうと勤めてるよ。
そして同じ理屈で、犠牲になった猫のために、いまだに祖父の三味線を大事に扱ってるんだよ。
彼には敢えて言わなかった。
この手の自称人道主義者の、非人道主義者には何を言っても無駄だからだ。
人間は生きているだけでほかの生き物を殺している。
人間は罪深い、と人は言うが、そうではない。
生きるために動物を殺すのは、人間だけでなく、動物だってそうなのだ。
もちろん、人間は文化や娯楽のために殺す、という違いはあるものの、結局自分のために、ほかのものを犠牲にするのは、遺伝子をもったすべてのものに共通のことである。
べつの人は言う。
人間が特別なのは、愛することができることだ。
しかしこれだって、動物は当たり前にやっている。親は子を、個は種を思いながら生きている。人間だけがほかのものを愛するわけではない。
人間は矛盾した生き物なのだ。
そして人間の特別さとは、その矛盾に悩むことである。
矛盾に対する唯一の正しい対処法は、矛盾を自覚すること、ただそれだけだ。
だから人の矛盾ばかり指摘して、自分の矛盾からは目をそむける弱虫、例の彼や、シーシェパードや、ひとの失敗を許容できないやつ、2chのあげあしとりども、そして人道主義者は、誰よりも非人道的なのだ。
2011/04/24 ヘンシウ 仕分け:主義・主張 感想:26 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
ひととはなんだろう
それは、社会、つまり時間の中に生きる人ではないだろうか
とけいはわたしたちひとりひとりをきざんでは、社会というなのまないたにそそぐのだ
2011/04/24 ヘンシウ 仕分け:詩<うた> 感想:4 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
2011/04/23 ヘンシウ 仕分け:詩<うた> 感想:14 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル