http://www.nicovideo.jp/watch/nm12476236
2010/10/19
ヘンシウ
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8 :怪獣の子供<kaijunokodomo> ◆dxakKNa1zM :2010/10/16(土) 14:32:06.84 ID:SqwKbo8G0
- 日本アニメがクオリティ高いとか言ってる奴は現実を知らない馬鹿だよなwwwwwwwww
○○がハリウッドに影響を与えたwwwwwwwwww
そりゃ向こうの連中にとっちゃあらゆるものが刺激だよwwwwwwwww
だからこそのトップクリエーター、胃の中のかえるの日本のゴミ雑魚うんこ製造機といっしょにすなやwww
色使い、キャラクターの造詣、背景の描きこみ、空気感、動作の細かさ繊細さ・・・
キャラの一挙一動まで徹底的に練られているし、立体としてまったく矛盾が無い
技術、芸術性、センス、どれもがディズニー>>>>>>>>一億>>>>>>>>>日本アニメw
時代を超える普遍性があるディズニーにやっかみしかいえない日本のゴミクリエーターwwwwww
まずアニメは二次元だからどうこうとほざいてるが、何故アニメは「二次元」なのか
この常識からしてすでにおかしいことに馬鹿どもは気づいていないw
画面に移ったものだから、という考え方ならば、実写映像作品だって二次元であるw
平面のスクリーンに描くものだから平面的な視野しかいらない、というのは全く恥ずかしい、幼稚な考え方である
平面の向こうに描きたい世界には三次元の空間というものがあり、キャラクターはその中に暮らしている
ひまわりやチューリップ、人物の輪郭や鼻の陰影、あるいは遠くの山がいつもあんな単純な符丁で描かれるはずないのである
また、太陽があり、影を作り、蔭と光が重なって色が生まれる
光が三次元空間で反射・拡散しあった結果として色が生まれるのだから、色彩学的な意味でも立体把握は必要不可欠だ
日本の芸術的感性などまるで0の(そのへんのおばちゃんのほうが美的感覚は洗練され、敏感に使われているだろう)
馬鹿クリエーターはそれを理解しないで、髪は何色、前から見たときの顔や目の形はこう、部屋の壁は何色・・・
という風な単純かつ狭量な描き方しかできない
こういった意見に対して、馬鹿どもは「それは欧米に毒された考え方だ!日本の伝統的な絵画は常に平面的だった
つまり平面的な画面作りはむしろ日本アニメの良さとして認識されるべきだ!」などとほざくw
伝統的なコンテキストに乗っかってるからといってそれだけで「良さとして認識されるべき」というのは
まるで短絡的な思考であるが、それは置いておくとして・・・
この馬鹿は絵の本質というものをまるで分かっていないようである
俺は決して日本の伝統絵画の平面性、単純性を否定したりはしない
そして同時に、アニメの平面的な描写を軽蔑し、鼻で笑っているのだ
この二つは全く矛盾せず自然に成り立つ
続いてこのことについて、述べていこう
一言で言うならば、アニメーションにもとめられる絵と、美術としての絵画のそれとは全く違う、ということである
キモヲタは西洋のアニメーション、とりわけディズニーアニメの立体性は西洋人のリアリズム絵画をうけついだものと考えたがる
では(それが正しいかは置いておくとして)、実際に西洋のアニメの絵柄はリアリズム絵画のそれと同じだろうか?
答えは明らかに違うのだ
そもそも、リアリズム絵画自体、必ずしも現実を正確に模倣したものとはいえないのである
なるほど陰影のつけかたなど、実に凝っているし、科学的な光の作用を反映したものではあるが、
それでも絵画の画面の空気感はただその風景を写真にとっただけのものとは明らかに違う
また、絵に描かれた人物のポーズなどもどこか演技じみていて、少なくとも日常生活の一枚を抜き取っても
絵画にあるような画面というのはなかなか生まれるものではない
何かが滑らかすぎるのかもしれないし、一部に現実の美化が働いているのかもしれない
いずれにせよ重要なのは、リアリズムとは志向性の問題であり、ただ無思慮に現実を写し取る人間コピー機とでもいうべき
文化とは全く違うということである
枠の中で表現する以上、ただ写し取るだけでは実際の印象を伝えることはできないし、
絵にテーマを持たせることなどできない
リアリズムであろうと、画家は世界を一度分解し、再構築しており、その点で日本の平面的な絵と本質的違いなどないのである
大分話がそれてしまった
改めて・・・伝統的な日本絵画が平面的だから、アニメが平面的なのも仕方ない、という考え方のばかばかしさについて
まず日本絵画のあの平面性が何故生まれたかというと、
あれは対象の内面に深く切り込んでいく精神的な表現をしようとしての結果なのだ
だから日本の伝統絵画には一回性があり、また世界の広がりというものは存在しない
なすびを描いた絵ならそこから読み取れるのはある瞬間のなすびの表情だけなのだ
日本絵画があるものごとの瞬間における、個人にとっての精神的な印象を描いたものであるのに対し、
アニメというのはある世界の連続した時間における、世界にとっての客観的物理的な事実を描くものである
両者が呆れるほど正反対のものであることは馬鹿にでもわかるであろう
2010/10/16
ヘンシウ
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http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1286617276/
彼らはまじめに議論しては負けるのが分かっているので(俺は何度か奴らを論駁しているので)、
このように話をそらさせようと必死なのです
彼らが児童ポルノ規制に反対する理由は以下のとおりで、これらはすべて論駁済みです
①二次元児童ポルノには被害者がいないから、規制しなくてよい 三次規制はどうでもよい
②児童ポルノ規制はむしろ犯罪を増やす ソースは俺らが分析した過去の統計(キリッ
③(ポルノ表現規制について)表現の自由の侵害だ!
④単純所持規制について)俺はロリコンじゃないが、冤罪が起こりうるので反対だ!
- 51 :怪獣の子供<kaijunokodomo> ◆dxakKNa1zM :2010/10/09(土) 19:13:40.35 ID:e3SI0tJy0
-
まず、よくある誤解として、
「児童ポルノ規制は児童ポルノという商品を生み出す過程で損なわれる人権を保護するためのもの」
というものがあります
これは、間違いです
必ずしもそうではなく、さまざまな観点から規制の必要性が叫ばれているのであります
①二次元児童ポルノには被害者がいないから、規制しなくてよい 三次規制はどうでもよい
反対派のこの主張などは、まさしくこの誤解に基づいた見当違いのものです
もちろん、児童ポルノのために「撮影された」児童の人権を守る観点から、商品自体を取り締まろうという意図もありますが、
意図はそれだけに限るのではなく、反社会的・反道徳的なポルノによって、視聴する側に直接的に倫理的な悪影響を、
児童には「自分たちが大人の性欲の対象になりうる」という絶望を、社会全体に間接的に倫理的な悪影響を及ぼすことを懸念しているのです
いわばこれらは「ポルノが生み出された後に、あるいは生み出されることを正当化することによる悪影響」を見越してのものであり、
反対派が「撮影される児童の人権」などにばかり話題を誘導し、エアーボクシングのように論破してみせるのは
(言っておきますが、規制推進派だっていもしない絵のキャラクターに人権が存在するなんて思っちゃいません)、
何の反論にもなっていないのですし、推進派も相手にしていません
彼らはむしろ反論できないからこそ、猿芝居を打っているといえるでしょう
怪獣の子供<kaijunokodomo> ◆dxakKNa1zM :2010/10/09(土) 19:29:17.80 ID:e3SI0tJy0 反対派が、規制推進派の主張を歪めてまで「さも有効な反論があるかのようなポーズ」をとっていることについて説明しました
これは①に限ったことではなく、反対派のあらゆる主張が、推進派の意図を作為的に誤解した上でしか成り立たないものなのです
ではつぎに、犯罪と規制の相関性の問題について論じましょう
②児童ポルノ規制はむしろ犯罪を増やす ソースは俺らが分析した過去の統計(キリッ
もうソースの時点で明らかですが、要するにまともな情報源などないのです
彼らはインターネットから適当に拾ってきたグラフにあれこれと理屈をつけているのですが、
まさしく素人統計とでも言うべき稚拙極まりないものです
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51482504.html
↑ここで示されているすべてのグラフにいえることですが、よく見れば規制が開始する前から
犯罪率の増加は始まっており、このグラフで示せているのはせいぜい「規制をしてもなお、増加傾向にある」
という程度のことなのです
ポルノ規制が犯罪をそそのかすというなら、「増加の割合」、つまりカーブの度合いの変化を見るべきなのに・・・
「そんなことはどうでもいい!増加がとまっていない以上、規制の効果はなしということ!」
としつこく食い下がることもできますが、実はそれも視野の欠けた発想です
そもそもこの手のグラフの縦軸の値は「検挙率」だったり「認知率」だったりするわけで、
必ずしも実際に起こった事件の数とイコールではないのです
反対派は勝手に【「規制が開始してからも、犯罪率は増えている!」】などとこじつけていますが、
【「児童への性犯罪が問題だ!」という風潮が高まったことにより、ポルノ規制強化と
検挙率の向上という現象が同時に起こった】という見方だってできますし、そのほうが自然といえるでしょう
もっといえば、「法律が改定されたことにより、これまで犯罪として扱われなかったものが犯罪として扱われるようになった」
という可能性だってありますし、この可能性はかなり現実的にありえます
もちろんここで行ったことは可能性の話しではありますが
無限に推理できる中で、特定の意味を見出そうなんてことが無駄だということさえ
伝われば俺はそれでいいんです
そんなこと簡単にはできっこないからこそ、統計学がうまれ、統計学者がいるのに、
素人がグラフを持ち出して規制を強化すると犯罪が増える!などと飛んでもを叫ぶのは恐ろしい欺瞞です
怪獣の子供<kaijunokodomo> ◆dxakKNa1zM :2010/10/09(土) 19:50:14.94 ID:e3SI0tJy0 ③(ポルノ表現規制について)表現の自由の侵害だ!
表現とはそもそも何でしょうか。例えばナチスの格好をしてパレードをするなど、手段のことを言っているのでしょうか?
それとも、「ヒトラーは正義だ!」という主義主張そのもののことを言っているのでしょうか?
ここのところをあいまいにしたまま、表現の自由と叫ぶだけでは、意味も分からず念仏を唱えてるようなものです
後者については、いたずらに誹謗中傷しない限り、取り締まられることはありません
ドイツではヒトラーを認めるような言論を発表をすると逮捕されます
これはあってはならないことであり、わが国ではこのようなばかげたことは許してはなりません
この権利については、極限まで自由であるべきです
しかし前者について…
例えば、ナチスのやったことを紹介するために、ユダヤ人を殺害する様子を表現と称して発表したら、どうでしょうか?
これは、当然の権利として、許されてしかりです。
…しかし、ナチスのやったことを正当化するために
ユダヤ人を殺害するゲームを表現と称して販売したらどうでしょうか?
これは、規制されるべきでしょう
この違いが分かりますか?前者は認識のために、後者はユダヤ人を殺すことを追体験することを目的としているのです
つまり、一口に表現といっても、手段の意味でその言葉を使っている場合、その奥にある意図を考える必要があります
簡単に言えば、殺人描写は許される
が、スナッフビデオは取り締まられる
同じことが、児童ポルノにも言えるのです
児童の性的行為の表現を規制するのと、ポルノという行為の延長線上にあるものを同列には扱えないのです
怪獣の子供<kaijunokodomo> ◆dxakKNa1zM :2010/10/09(土) 20:08:13.92 ID:e3SI0tJy0 ④単純所持規制について)俺はロリコンじゃないが、冤罪が起こりうるので反対だ!
この主張に関する反論はきわめて単純です
まず、このような冤罪の危険性はあらゆる法律にともなっています
それを防ぐための措置を論じるべきであって、可能性としてこういう冤罪事件を起こすこともできるからこの法律はだめ!
というのは、「ワイヤーを用いたトリックでアリバイをずらし人を殺すことができちゃうので、
ワイヤーの販売は禁止しろ!」といっているようなものです(あまりいいたとえではないかなw)
さらにいえば、麻薬、刀剣に対して単純所持規制がすでに敷かれています
麻薬はともかく刀剣については簡単に手に入れられるものであり、
「児童ポルノ画像を所持させることによって人を貶めることが出来る・・・」だなんて理屈が通じるなら、
何故これらの既存の法律が正常に作動していることを無視できるのでしょうか?
結局「規制に反対したい」という願望から無理やりに法律を使った犯罪トリックをこしらえて、
それを根拠に法律は危険だと行っているだけであって、法律そのものに穴があるとはいえません
2010/10/09
ヘンシウ
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