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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
具体的な提言として、 ・音を疑え ドラム、ギター、ベース・・・本当にこの三つはなくてはならないものか ・作曲理論を疑え・・・コードをかき鳴らしながらメロディを考える・・・このやり方は本当に正しいか ・詞先に立ち返れ・・・日本語軽視の風潮もここから生まれる まず表現したいことがあって、音楽はその手段のはず 詞先とはいったものの、本当の芸術家は詞と音を平等に扱うことができるはず 詞よりも曲よりも先にくるもんがあって、そのための手段が音楽なんや 音楽は歌詞と旋律で構成されとるわけで、この二つはともに公平に”言語” 歌詞で足りない部分や、語りきれないところを、旋律で語り、 旋律でイメージさせきれないところを、歌詞で補う―― この考え方があれば、”日本語は圧縮が難しく、表現したいものが表現できない”などという、 甘えた寝言もいわないようなるはずや やはり歌の歌たる意義を見出すとしたら、 器楽曲の弱点と、言語の弱点、二つを知ることだと思います 器楽曲は抽象的な表現手法ですが、ふわふわとしていて引っ掛かりが無い 言語は具体的な表現手法ですが、自家撞着的で、意味を捨象してしまう この弱点を相互に補えるのが歌の強みだと思うべし そうすれば詞が先も曲が先もない 今の歌は演歌は詞ばかりで、POPSは旋律ばかりで語ろうとしすぎている それは歌の意義を失わせているのではないか いまや定型化した作曲手法にも同じことがいえるんや コード主体の作曲方法、ほんまに日本の風土にあっとるやろか? コードは確かに陰と陽、二つの感情をおおよそにわけて、軽快に表現できる ピアノが一台あれば、指三本だけで感情を表すことができるんや けどな 欧米化したゆうても、なんだかんだで日本人は奥ゆかしいし、言葉足らずな民族やで 僕にはどうしても、和声音楽の、瞬時にして「気分」が現れ、持続し、また次の境に切り替わる、 あのころころとおもちゃみたいに展開していくべったりとした主張の強さ、味わいのなさが、 日本語に向いているとはおもえんのや 感情はもっとじわりじわりと弧を描きながら高まっていって、ふっと空中に消えていくもんとちゃうやろか 最後にサウンド! 今の邦楽はロック(ビートルズ、とゆうても差し支えない)の影響を受けたんが基本 ドラム、ギター、ベース・・・これらがあって始めて音楽と認識する(笑) ほんまにあほらしことやけど、ドラムでリズムを刻んで、ベースが低音をならして、ギターがじゃかじゃかいわんと「若者っぽくない」 この定式を崩したい そもそもこれらの楽器は、近代になって英語文化圏でうまれたもん 少人数の”バンド”が音楽をやるときに、旋律の主従とリズムとを単純に役割分担したもんや この考え方自体は確かに合理的で単純明快やけども、昔の日本の音楽を振り返ってみたときに、 まずリズムにしろ低音にしろ、そんなもんは存在せんかったわけで、なんでそこを皆疑問に思わんのか不思議やで 日本の”バンド”的なもんとして、三曲っちゅうもんがある これは筝、三味線、胡弓からなる音楽で、どれも弦楽器 三味線が骨、筝が肉、胡弓が皮といわれとって、三つの楽器のユニゾンによってえもいわれんサウンドをつくりあげとったんや 昔こういうもんがあったから、それに従えとはいわん ロックかて、かつてのクラシックとは別もんやしな ただ、何で伝統を振り返って、こういう考え方もあるなあ、ということを考えないのか、 その思考停止したところに、創作者の姿勢として疑問を呈したい 音楽を拍子、旋律、和声の三要素に分類したんは、西洋やけど、そんなんを真に受ける必要もない この三つが備わって初めて音楽、みたいな視野の狭い考え方が、街中にあふれる音楽的なもの、への発見からとおざけとるし、 音楽への携わり方を工業的にしとるんや 今のDTMerなんて、コード(和声)つけて、ドラム(拍子)つけて、旋律(旋律)つけて、最後に小細工して歌のしたらそれでしまいおもとる 音楽はもっと自然にうまれるもんやし、特に歌の場合、言語との関係性を無視はでけんのや ロックの形式だけを受けついで、その中でうまいこと日本語と折り合いをつけるんを、ロックの成立条件としとるんやから滑稽やわ あの下に叩きつけるようなパーカッションはな、英語の発音を真似たもんや あのゆがんだギターはな、金属音の多い英語やからかろうじて歌が負けずにおれるんや あのベースはな、トニック、ドミナントの無理のある急激な変化を支えるためのもんや あのシンコベーションはな、韻を踏みやすい英語の特長をさらに活かすために編み出されたもんや 全部英語音楽の文脈から自然発生したもんや それを何の考えも無しに、日本人の母音主体のそのまま受け継ぐって、お前らははずかしないんか! 日本語はな、英語とちごて、高低アクセントなんや 普通にしゃべっても、それだけで旋律にきこえるんや 小鳥が歌うようにな たとえば だるまさんがころんだ 標準語やと、 だるまさんがころんだ ↓↑↑↑↑↑↓↑↑↑ 関西弁やと、 ぼうさんがへをこいた ↓↓↓↑↑↓↑↓↓↑ な、言葉がちがえば、旋律もちがうやろ? 最近はその自然な旋律をを無視して作曲しとるから、上っ面だけの感動をよばん歌がおおいねん 言葉に旋律が含まれる以上、詞先を中心に、曲先でひねりつをつけるやり方がただしいんやろうと思うで 楽器と鉛筆、どっちを先に握るべきかゆうと、そら鉛筆なんや
2011/08/01 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:10 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
昨日発表するはずだったのですが、遅れて申し訳ございません。
わたしの次なる芸術活動とは、国旗です。
そう、日の丸に代わる、新しい国旗。
この国にふさわしい国旗を、考えたいのです。
思えばこの日の丸という旗、外国への対抗意識から薩摩藩(あの軍国主義の・・・)が考案したもの!
時は鎖国中の江戸時代。彼らは外国への脅威に対し、日本を象徴するのは太陽がよいだろうということで、急ごしらえでこのような旗を作ったのです。
しかし私に言わせれば、この国旗は非常につまらない。
何がつまらないかというと、歴史の経緯から見てまず外国への対抗意識から生まれたというのが面白くないし、軍国主義者の無粋なセンスが前面に出ているのも気に食わない。
明治のころは、このような国旗でもよかったのでしょうが・・・。
しかし僕は、日本は文化の国であるべきと思うのです。
この旗を生んだ薩摩、九州の土壌が強い愛国心を持った土地であるのは分かりますが、彼らの言う愛国心とはテリトリーの意識であり、軍人の考える愛国主義です。
わたしはそれに異を唱えたい。
これからは槍を天に掲げる国家意識ではなく、芸術、哲学、美の文化による国家意識を持つべきであると。
そして、その中心となるのは、伝統文化の中心として栄えた上方です。
ちょうど時代は橋下知事をはじめとして地方分権が叫ばれる時代。
さて、この若き大阪府知事は、本気で大阪を独立させようと考えています。
あえて、はっきりといいましょう。私怪獣の子供は、橋下知事を全力で支持します!
芸術家としてどのような形で応援できるかを考えた結果、いたったのが、関西文化の統一、いいえ、象徴を芸術として昇華するものを作ることでした。
というわけで、怪獣の子供のこの大きな挑戦を、皆さん見守ってください。
もっとも、この挑戦には、関西には天ちゃんがいないという課題がありますが、そこはまあ、陛下が必ずご帰還くださることを信じた上で、企画を進めたいと思います。
日本弥栄!
2011/08/01 ヘンシウ 仕分け:未選択 感想:192 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
この二つの関係について考察しました 旋法というのは音階とその力学的作用をまとめたもの、とおもってください 西洋は終始コードのようなものがありますが、日本音楽はその代わりに終始音とでもいうべきものがあります 基本的に五つの音(ただし、上向形下行形によって分かれ6つなこともある)を用いますが、そのうち三つが 終始音(核音、安定)、二つが中間音(不安定)で構成されています 旋法は大きく分けて四つあります Dを中心とすると、(◎…核音、○…中間音、▽下降系中間音△…上行形中間音) □□□□□×#×#××#×#×#× □□□□□CCDDEFFGGAAB ◇都節音階△×◎○×××◎×◎▽× 田舎節音階△×◎×○××◎×◎×▽ ◇◇律音階□×◎×○××◎×◎×○ ◇琉球音階×○◎×××○◎×◎×× それぞれの旋法の特徴を説明しましょう! 【都節音階 通称、陰旋法】…… もっとも登場が新しい旋法です。しかし、江戸期に登場して以来、日本の音楽を席巻しました。 日本を象徴する音階といってよいのではないでしょうか。静と動で言えば静の音階で、みやびな感じがします。 現代人の感覚だと陰気に感じられやすいのですが、当時の人にとっては必ずしもそうではなく、 たとえばたのしいひなまつりなど明るい曲にも使われていることから分かるように、 単純に陰気陽気、メジャーマイナーと分けられるものではないのです 下降的な旋律を持つ傾向にあります 【田舎節音階 通称陽旋法】…… こちらも下降的な旋律を持つ傾向にあります 都節音階とともに、俗楽で用いられる旋法です 都節音階よりは動的ですが、↓に述べる民謡音階よりは静的です 【民謡音階】…… 大事な音階を忘れていました ◇民謡音階○×◎××○×◎×◎×× こちらは上行的な旋律になりやすいです。名前のとおり民謡に使われる音階で、 お祭りなんかの能天気で上へ上へと高まっていく派手な旋律は、大体民謡音階であることが多いです 津軽三味線もたぶん民謡音階でしょう 【律音階】 …… もっとも古くから使われていた旋法で、都節音階、民謡音階はこの音階から生まれました 雅楽や声明など崇高な音楽に用いられます 下降系の旋律の傾向が強いです 【琉球音階】 …… 名前のとおり沖縄の音楽にて使われます 日本の伝統音楽とは断絶が大きいですが、あえて同じ国となった現代に取り込んでみるのも手かもしれません 上行系の旋律です ガムランの音階にも似ています ここで民謡音階以外が視聴できます 音楽の性質のようなものが、旋法によってかなり決まるということが分かるかと思います 西洋音楽(コード主体の音楽)では、マイナーかメジャーかで大きく分かれますが、 日本のような旋法による音楽では、旋法がはらむ力学的関係によって、演奏されるうちに雰囲気が現れるのだと理解してください たとえば中心音と核音の間が狭い都節音階は、おとなしくて内省的な曲に合うでしょう。 民謡音階は二つの中間音が半音三つ分上にあるので、ダイナミックです。 田舎節音階は、一つは半音二つ分上にあるので、やや大人しめ。民謡も田舎節も、移調すれば使用音階が重なるのですが、 何が安定音で何が中間音かによって性格が違うというわけですね なお、これらの旋法以外にも、独自に旋法を作っても良い たとえば都節と律音階を組み合わせて ◎×○××◎×◎○×××(◎) こんな音階を作ったり、こういうことは伝統的にされている(この例は、筝曲の「古今調子」というもの) また、一つの旋法だけだと長い曲では飽きてしまうので、近世邦楽では転調、転テトラコルドが多様される 転調は属調、下属調への転調が多いが、二度や一度の転調もまれにあるらしい テトラコルド理論にそぐわない例外として呂音階、呂陰音階があります 律音階とともに中国から雅楽の音階として伝わりましたが、日本人に合わなかったのかほぼ廃れています しかし面白いので、一応ここにその旋法を書いておきます □呂旋法◎×○×◎××◎×○××(◎) 呂陰旋法◎○××◎××◎○××× 日本の音楽は基本的に旋法の音楽です 西洋音楽は和声進行により音楽が規定されますが、旋法音楽の場合音の力学的関係により、規定されます 旋法音楽の特徴は、演奏の継続によってじわりじわりと空気感が高まっていくところだと思います 和音音楽は演奏と同時に伴奏を一気に鳴らしますから、軽快な進行、自由な展開が可能になったのでしょうが、旋法音楽はそうはいきません 和製音楽が一つの明確な終止形(トニック)があるがゆえに、七音の間を激しく上下する旋律を可能にしたのと対照的に、 旋法音楽は終始音が複数平等に存在し、それ故に大きな動きはなく、BGM的になりがちです 創造性とダイナミックさが大事な現代では、この旋法音楽特有の弱点を克服する必要があると思います 三つの手がかりが考えられます ①義太夫や新内、長唄など展開が激しい劇場音楽に自由な展開を表現するヒントを見出す ②日本音楽唯一の和声とも言える雅楽の笙 ③筝曲によくあるぽろろん、というアンサンブルは一種の和声ではないか 旋法を手がかりに日本独自の和声を考えようとしたり、 また地歌筝曲はすでにトニックの概念を持っているという説を唱える方もいらっしゃったり、 面白い試みは考えられますが、いずれにせよ今の西洋音楽みたいにばんばん伴奏で和声を鳴らすような音楽は避けたいです 一つの解釈を押し付けられているようで、日本語特有の曖昧な深みや、音の間や余韻が殺されてしまうと思います 三味線のサワリの音のような、びぃーんと気持ちよく消えていくあの音を生かせないかと思っています
2011/07/30 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:46 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル