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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
陰陽。陰がをんなで、陽がをとこ。闇より光生まれむ。必ず陰が先に来るのだ。しかし音樂でいへば、間拍子の表拍は陽、裏拍は陰。音樂のみ前後するのはおかしいと、不思議やった。 假説でしかないが、本來、強弱強弱、といふ流となって居るのは閒違ひではないか。本当は弱強弱強ではなかったか。それが、いつの頃からか、拍節単位では強を中心にまとめるやうになったのではないか。 たとへば句でいへば、終止音にその句の性格が最も強く發揮されるのであるから、前小節と後小節に句を頒けるなら、後小節こそ「陽」ではないか。フラクタルな性質を持つ日本音楽において、小節単位でのみ、前拍に力強さが表れる、つまり陽→陰の流で構成されて居るのは奇妙である。 斯うはかんがへられないか。フラクタルな構造を、より小さい単位へと無限に突き詰めれば、特異點…つまり曲の頭だが…に行き着く。その特異點こそ、原始であって、つまりは陰、萬物の源であると。声を発する瞬間、無が有に轉じる。有が轉じた瞬間、それ以前の無が定義されるのだ。 つまり、自由拍節の音樂でいふなら、言ふ迄も無く、無から音樂は始ってゐる。それを、人間が数理的客観的に共有できる八木節的音樂の時間原理に轉じるとき、もちろん宇宙の原理に従って、陰から陽への構造を理論としたであらうが、その最小単位では、その原理を模倣してはならなかった。 すなはち、小節単位で覧た時、その頭を強拍としたのには、明確なその必要があったからだ。すなはち、執拗に宇宙の原理を模倣することをどこかで諦めねば、宇宙的「無(人間が創造した音樂世界、別宇宙に組み込むまでもない絶対的な宇宙)」と斷絶されてしまう。 手を拍けば音がなる。なった音はいずれ消える。しかし、いつ音は生まれたのだらうか。いつ、音は消えたのだらうか。それを規定することは、人間の認識能力をこえてゐる。しかし、有が生まれた瞬間、それ以前の無は絶對的なものに、また有が生まれた瞬間、その有が無に還ることは約束されて居る。 宇宙に始まりと終わりはあるか。他がそれを領ることは絶對にできぬ。少なくとも、音樂にはある。完らずにはいられぬし、あるいは、完らなくてはならぬ。然れば、宇宙を完全に模倣することはもとより不可能。しかし、それでよい。不完全な模倣、たどり着くことのない挑戦と諦めこそ、藝術、創造の美…
2012/09/16 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:29 ▲ トラックバックユ・ア・レル
ご 自 由 に ご 感 想 を
ちょw姿消して眺めていたのに呼ばれちゃったw
見てはいますよ、メールありがとうございます>セコイアさん
怪獣も元気そうだね。悪化しているようだけど。
皆さんもお元気そうで何よりです。私が言う事ではないけれど余り血圧挙げないでまったり行きましょう。
リアルが忙しくて前のように頻繁に現れる事は出来ないけれど
暇な時はチェックするようにします。
怪獣が随分と邦楽や古典のイメージを悪くしてくれましたが、興味を持った方は
秋の夜長にyoutubeなどを利用して調べてくれるととても嬉しいです。
邦楽などに興味を持ち趣味とする事自体は悪いことでも何でもないんだよね。
怪獣も外に出て、三味線の教室に通ってみると世の中もっと楽しくなりますよw
崇高な理論と思想を提げるも日頃の行いとあまりの高尚さが災いして誰も理解してくれない・・・
悲劇やなwww悲劇の天才やなwwww
誰にも理解されずに広大なネットの海の片隅で一人静かに死を待つ悲劇の天才やなwww
かわいそうやなwwww
勉強?進化?それで?
お前に発言権はないんだよ怪獣、貴様が何をほざこうがお前が狂った妄執に脳を乗っ取られた、ただのキチガイと言う現実に変わりはないのだからな!!!
僕は閒違ひなく現代語を辯してゐますよ?
そして論理は何日の時代に拘はらず普遍です
尚、舊漢字及び舊假名遣ひを爲て居るのは、徒其れが合理的で表現力があるからです。
戰後の僅かな歴史、其れも燦かに政治的且つ愚鈍な迄に非合理な現代假名遣ひを使つて居る方が餘程可笑しいのですよ。
テメーの議論はただ出鱈目に古風な言葉を並べ立てて、相手の意見を片っ端から否定しまくってる
だけだろが、お前は神様じゃねえよ、何の取り柄も才能も無い、ちっぽけな人間の自己満足を好き勝手にばら撒いているだけじゃねえか!それ以上でもそれ以下でもねえよ!!
「外に出ましょう、そして現実を見ましょう」
バカじゃないの?ただ理由を作ろうとしてるだけ。それより説明しなくてはいけないことたくさんあるだろ。そういえば数ヶ月前あるブロガーが怪獣の動画を乗せていたぞ。すごいな。でも次の日は2歳児がピアノを弾く動画。違う日には犬が鍵盤を叩く動画。結局このブロガーは適当に音を並べればある程度の音楽になるということが言いたいブログだった。つまりお前の音楽はいぬが鍵盤叩く音楽と同レベルということ。
最近、ステレオタイプにしか覧れてゐなかった日本の文化を、より豊饒に覧れるやうになった。連綿とした、それぞれが違ったところへ流るる川が、いくつもある。俺は西洋と對比することに執りすぎてゐた。言ふなれば、天の世界に対して、地の世界で對抗しようとしてゐた。
今は、全く違った方法で、世界と戰おうとしてゐる。それが例へばさきほどいった能であったりするが、それは決して日本の歴史の一部分ではないと信じて居る。それはたとへば繪畫にも、たとへば尾形光琳の繪に見られるものだ。あの、生首でも轉がって居ても少しも不思議でない世界。いふなれば、非常美であり、仏教的諦念の日本觀に対して、それは力強いもので、あまりに影響が強すぎた仏教的世界に對しうる傳統である。俺の求める世界を受け継いできた他が、必ず居るはずだ。
一つの目標は、原色を持った佛教であるが、ただ原始に還ることは、よしとはしない。圧倒的なオリジナリティを以って、孤立したい。
持續音が、反佛教的な、すなはちどこまでも”業”を積み、天を髙く志向する男性的原理による音樂の象徴とすれば、さうした西洋的な男性世界に対抗するものとして、私が一つ思ひ付くのは、能音樂である。これは言ふ迄もなく男性原理の音樂の一つの局地であるが、その世界観は西洋音楽のそれとは大きく違って居る。
能はモチと云はれる休符をアクセントとした音樂で、鼓に表現の重きを置いたものである。そしてその鼓は、鳴らされた音よりも、その前の、いよおだの、やだのはだのといった、間合ひを計る姿勢にその技術の精練を求める、稀有なものである。鼓を拍いてでた音は、結果として切り捨てて、感心を拂わない。間合ひを掴めば結果は突いて来る、つまり因果、陰陽の陰によって統制された音樂世界なのである。
すなはち、西洋が有、つまり陽をより秩序立て、通奏リズムによって数学的比例関係の土台を築くことで、自然を克服しようとしたのに対し、日本の侍は、陰と陽を転倒し、倒錯した幽玄世界を産みだした。
能の音樂では、間合ひ、つまり陽を孕んだ陰を、聲に出すことで視認できるものへと転換した。おそらく、その陰の豫感にこそ、生の本質があると勘へたのだ。既に生まれたものには既に超宇宙的な人間の凄みなどありえず、人間が模倣しうる生は、胎動にしか宿らぬと勘へた。まさしく武士の世界、死狂ひの世界である。
稽えて試れば面白や。陰は貌莫き故に、陽の閒にしか存在できぬ。音樂が始まる瞬間は必ず行爲によってしかありえない。休符から始まる音楽などないし、その休符も陽の漸次的な死によって規定された曖昧なものだ。
人間が産みだしたものは、絶對的に有は無より前にくる。生んだ瞬間に反自然模自然の姿勢からみれば矛盾を孕み、屈してしまって居る。意気揚々と出奔する創造の世界も、敗北によってしか始まり得ないのだから喜劇である。
ご 感 想 は こ ち ら か ら
無題
自分の言ったことぐらいは守ってくれよなー、頼むよー
とりあえず、前言ってた国旗作るんだよ、おう
あくしろよ
ナ ナ シ カ イ ジ ュ ウ 2012/09/28 20:52 ヘンシウ ヘンシン