第九地区を見ました
第九地区...★☆☆☆☆
長かった。
とにかく退屈で、苦痛でしかありませんでした。
内容、主題も最悪のきわみなのですが、それ以前に映画としての見せ方の下手さにうんざりさせられました。
多分、一番悪いのは脚本家でしょうね。その次が演出家...ってところでしょうか(あ、もちろん、監督を除いての話ですよ!?)。
とにかくメリハリのない映画で、同じような場面がえんえんと続くんです。最初の方はインタビューを切り貼りしたドキュメンタリー形式で、テンポだけはいいんです。派手な戦闘シーンも沢山あるし、しかも低予算映画の癖して結構迫力がある。が、じゃあ退屈しないかというと、とんでもない。
「退屈しなさ過ぎて退屈」
とでも言いましょうか。
見せたい部分を詰め込んだだけの映画が、ここまで苦痛なのか、ということを教えていただきました。
爆発があったら、その後に余韻ってものがなくちゃいけない。
謎を提示したら、観客にその意味を邪推させなければならない。
じっくりと丁寧に、しみわたらせる工程があってこそ、作品に没頭できるんです。
下手なアクション映画ほど、火薬を沢山使うんです。暴力というのは、爆弾が大きな音を立てて、うるさくて、沢山人が死ぬから怖いなんてもんじゃないんですよ。
下手なミステリー作家ほど、展開を急ぐんです。謎とその答えだけ考えて、提示するだけ。裏切られた!と思わせるためには、揺さぶらなきゃ駄目なんです。自分とは関係のない領域で「なにやら凄いこと」が行われていても、打ち震えるような感動はありえません。
さらに言えば、主題を練れていない。
「いわゆる人種差別問題」を主題にしたいのかもしれませんが、では差別の何を描きたかったのか?
気持ち悪い奴がいる、だから迫害した、ところが自分もそいつらと同様の身分となった、そしたら自分が迫害される側になった。
ここから何かを読み取れというのが無理な話です。
人の心に迫害精神が生まれるまでをスケッチしたかったのなら、いきなりエイリアン飛来から28年もの時間を省略したりせず、ファーストコンタクトから丁寧に描かなければいけないのです。
それとも、製作者のメッセージ性は関係なく、ただ単にアパルトヘイト追体験映画として価値を見出せとでも言うのでしょうか。そんなものを追体験させるのにエイリアンなどは必要ないでしょう。ただ構図を借りてきただけで、アパルトヘイトという事件を語れると思ったのでしょうか。
「神は細部に宿る」とは言いませんが、人種差別問題というのは結局は、宗教的バックグラウンドや文化の衝突、歴史、差別する側・される側の心理の堆積によって生まれるものなのです(尤も私はそういうのに興味はありませんが。勝手に差別し、差別されてりゃいいんです)。
ただ構図を取り出して、別の役者と別のシチュエーションで再現すれば語れるという類のものではない。というより、そういう根本的な真理に迫っていけば、結局は「差別はいけない」という現代の一応の不文律は、何の根拠もない権威側からの「押し付け」にすぎないことに行き着いてしまうわけで。監督も結局何を描いてよいかが分からず、ただエイリアンとの紛争と主人公の個人的な病気(そもそも銃弾が飛び交い、生死の争いが繰り広げられる環境で、エイリアンになってしまうというだけの病気の恐怖が引き立つわけがないのですが。本当阿呆ですねこれ作った人)とを交互に描いただけの、中身のない映画になってしまったわけです。
あ、その中身のなさをもって、「世界じゃ差別問題やそれに対する人類皆兄弟的価値観なんて、突き詰めれば空っぽさ」といいたかったのかな?(いや、ジョークジョーク)
要するに、うすっぺらい、ポーズだけの道徳、哲学しか持たない人間が作品を作るとこうなるよ、といういい例ですな。しかし、そのうすっぺらくてポーズだけの道徳、哲学しか持たず、しかもその自覚のない、病的な人の多いこの社会では、ある意味お似合いの映画かもしれません。
2011/01/06 ヘンシウ 仕分け:批評・感想 感想:69 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
- 次の記事 : 僕のおすすめ、紹介するで!
- 前の記事 : ポップス作るのでお題ください
>>名無しの録音技師さん
もう見ているかどうか分かりませんが
もしも読んでいただけるのならと思い書いています。
不勉強にして私は映画の録音技師というのは
どういう仕事なのか分からないのですが、
あなたが継続してきた事にははっきりと意味があります。
これは計算してやっているのか、
あるいはあなたが固有のセンスで持っているのかまでは分かりませんが
現時点であなたは音の響きというものを習得しているという事です。
これは日本語(日本文)の音感という意味です。
すぐ下の文章を自分でよく読み返してみて下さい。
何故そこで自分がその音(言葉)を選んだのか冷静に判断すれば自分の未来の方向性がある程度見えてくる事でしょう。
ご存じだったら今更と思われるかもしれませんが
文学と音楽は感覚において同じ芸術とされています。
それは「聴覚芸術」という事です。
文字が発明される以前、多くの神話・物語は人同士の間で暗誦によって伝えられてきました。
我が国で言うと語部の稗田阿礼が代表ですね。
そして当時の人間は文字を信じず、人の発する言葉(暗誦)の方を信じました。語部が後世まで残ったのはそのためです。
そのため音感に優れている人間、優れていない人間の間には、文章力にも差がついてきます。
例えどんなに小難しい単語を使っても、自身で崇高に語っているつもりでも、そこに「音」の響きがなければ相手の心を揺すぶる事は出来ません。
自信を持って下さい。あなたは年齢に応じただけの力は持っています。
この先、私があなたの関わった映画を見る事があるかどうかは分かりませんが、応援させていただきます。
ふじこ 2011/01/16 13:22 ヘンシウ ヘンシン