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ロックは英語でしか無理 ―せやからからええ加減自分らの音楽を作れ、へたれ―

まずロックをやろて甘えを捨てなあかんのや

若者どもは、ほんまに感性がゆるくて、何かに感動させられたら、その感動の波と同じ波にのって表現者になろうとする

阿呆ぬかせ、岡本太郎もゆうとったように、何かに感動させられたら、それとまったく違う方法で表現せなあかんのや!

ええか、音楽を心ざすもんは、ようきけ。
唄は言語から生まれ、言語にかえってくんや。

ロックは英語でしか無理。

日 本 語 で 歌 っ と る 時  点でロックやない。

唄は言葉から生まれ言葉にかえるもん。

英語の様式を受け継いで日本語を無理やりのせたって、唄とはいえん。 
日本語をサウンドに取り入れたインストゥルメンタルや。

英語は、子音強調、強弱アクセント、定拍のリズム、韻でなりとうとる!
一方日本語は、母音、高低アクセント、無拍のリズム、掛詞でなりとうとるんや!

この二つはおそらく、地球上の音楽の中でもっともかけはなれとるもんやで!
両者から生まれた音楽も同じ

英語は旋律を変えやすいんはもちろん、ある定型の拍があるとき、それに圧縮する形で合わせるのに適しとる。強弱アクセントの言語はもともとスポンジみたいに空白を含んだもんやからな。

日本語はそうはいかん。高低アクセントで同音異義語が多いため、一定の速さ以上にしようとするとこわれてまうんや。つまり、定まった拍の中におしこめようとするやりかたはあわん。

こういうと日本語は不便とか言いたがる奴がおるけど、そんなん無茶苦茶なんや。
言語はそれ自体が向き不向きをはらんどって、それ故音楽性がちごてくるんやないか。

邦楽信者=洋楽信者のようある勘違いをといたるわ。
 「日本語は一音=一語やから、テンポの速い曲には向いてない、また音楽的になれない」

これ、大間違いや。

そう感じるんは、洋楽的な作曲技法、つまり音楽を箱(拍)で区切って、その中に音符をちりばめ、言語でそれを拾っていく、みたいな作り方を、そのまま日本語に持ち込もうとするから起こる間違いなんや。

ではどうするかゆうと、拍なんてもんはなくしてもうたらええねん。
くわし解説したるけ、ちょっと時間くれや。

僕が「これこそ日本語音楽の未来や!」と感じたある音楽を紹介するで。

新内節

ぼくはな、この曲と、The march of the black queenを比べてみたんや。

そしたらな、言語自体の音素の数は新内節は四百四十七、The march of the black queenは四百五十七やった。

前者は四百三十三秒、後者は三百九十三秒やったから、それで割ってみた。するとや・・・。

一秒間に含まれる音素(唄パートの音符おもてくれたらええで)は平均して、
新内節は1.03233256、
The march of the black queenは1.16284987

・・・大きな差は、あらへんのや(ちなみに義太夫節の「語り」の部分は、6.5という超密度や)。

つまり、洋楽とかわらんくらい、新内節は情報が圧縮されとるし、テンポも軽快なんや。
しかも、この計測は音素で図ったゆえ、新内節の四百四十七っちゅうんは、要するに歌詞カードの文字数と同じ。実際には新内節はかなり引き伸ばして歌う場面もあるから、もっともっと音楽的に構築できる余裕はあるゆうことや。

もっとも、The march of the black queen は長めの間奏もあったりするから、その分多少唄パートの密度はさがっとるけど、それはフレディが唄パートで音楽を構成するのはそれで十分、いや、あまり埋め尽くしすぎると音楽としてあかんと判断したからこそそうなったわけ。
日本語はゆったりと、英語はぎっちりとすかすかを交互に、っちゅう違いがあるだけで、両者とも音楽を構成させるのにハンデなんかありゃせん。

「日本語はテンポがどうしたって遅くなる」なんて大嘘やとわこたやろ?

技巧的なことについてやけど、新内節がこうも軽快になれるんは、拍節なんてもんを捨て、テンポなんちゅうもんを否定したからや。
たとえば1分33秒からの、あるいは4分33秒からの三味線の「だんだんだんだん・・・」みたいな連打音を聞けばわかるように、日本語に合わせて伴奏が止まってあげたり、あるいは
3分8秒からのゆぅっくりはやなっていくところみたいに、テンポをなめらかに変えて、歌を引っ張ってあげたりするんや。
拍という箱にとらわれへん自由さ、また加速度をもったテンポ。これが日本語の最高の様式やってん。
これまでの、定拍の、音符をひろってく音楽と比べてみ?西洋的な単調なテンポ、手拍子ちんたら拍、こんなん日本語にとったら足手まといみたいなもんやで。

日本語はシラブルが固定された言語やけ、読み方に加速度がとまなわなおもろないし、七語調みたいに、リズム感を生み出すための最小単位(文節)が長いから、
拍節におさめながらアコーディオンみたいに英語(音符)を伸び縮みさせてリズム感を出す、西洋音楽のやり方とはあいいれんかったんや。
考えたら、当たり前のことやねんけど、こういう発明が生まれたんはほんまに最近になってのこと、江戸時代の「洗練」(僕の大好きな、病的な言葉やな)された文化ゆえ生み出せたんや。

ちなみに明烏は三百年前の曲や。こういう音楽がなぜ作れたのか?はこないだゆうた、詞先・曲先なんて考え方では唄はでけん、っちゅう理論とにとる。伴奏の旋律と日本語はどちらも対等で、お互いを引き立てあう二つの言語やという考えに基づくからこそ、こういう音楽を作曲できるんや。
当時の日本人は、歌詞と旋律に主従をつけるなんていう、欺瞞的な堕落におちいっとらんかった。
楽譜に音符をおいてって、さあこれに日本語を載せよう、なんてやっとる、要領悪い阿呆どもにはおよびもつかん発想。すべては伝統にヒントをさがさんその「カブレ」が原因やで。

邦楽は邦楽 !
伝統音楽の延長線上にしか、日本語音楽の未来はない。

洋楽中心の考え方を捨てんかい。

実は洋楽厨といわれとるやつらの方が、その覚悟ができとるやつらやったりすんねんけどな  。
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2011/08/04 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:69 ト ラ ッ ク バ ッ ク: トラックバックユ・ア・レル 

音楽家の怠慢

具体的な提言として、 
  
 ・音を疑え ドラム、ギター、ベース・・・本当にこの三つはなくてはならないものか 
 ・作曲理論を疑え・・・コードをかき鳴らしながらメロディを考える・・・このやり方は本当に正しいか 
 ・詞先に立ち返れ・・・日本語軽視の風潮もここから生まれる まず表現したいことがあって、音楽はその手段のはず 
  
 詞先とはいったものの、本当の芸術家は詞と音を平等に扱うことができるはず 
  
 詞よりも曲よりも先にくるもんがあって、そのための手段が音楽なんや 
 音楽は歌詞と旋律で構成されとるわけで、この二つはともに公平に”言語” 
 歌詞で足りない部分や、語りきれないところを、旋律で語り、 
 旋律でイメージさせきれないところを、歌詞で補う―― 
  
 この考え方があれば、”日本語は圧縮が難しく、表現したいものが表現できない”などという、 
 甘えた寝言もいわないようなるはずや

やはり歌の歌たる意義を見出すとしたら、 
 器楽曲の弱点と、言語の弱点、二つを知ることだと思います 
  
 器楽曲は抽象的な表現手法ですが、ふわふわとしていて引っ掛かりが無い 
 言語は具体的な表現手法ですが、自家撞着的で、意味を捨象してしまう 
  
 この弱点を相互に補えるのが歌の強みだと思うべし 
 そうすれば詞が先も曲が先もない 
  
 今の歌は演歌は詞ばかりで、POPSは旋律ばかりで語ろうとしすぎている 
 それは歌の意義を失わせているのではないか  
  
 いまや定型化した作曲手法にも同じことがいえるんや 
 コード主体の作曲方法、ほんまに日本の風土にあっとるやろか? 
 コードは確かに陰と陽、二つの感情をおおよそにわけて、軽快に表現できる 
 ピアノが一台あれば、指三本だけで感情を表すことができるんや 
  
 けどな 
  
 欧米化したゆうても、なんだかんだで日本人は奥ゆかしいし、言葉足らずな民族やで 
  
 僕にはどうしても、和声音楽の、瞬時にして「気分」が現れ、持続し、また次の境に切り替わる、 
 あのころころとおもちゃみたいに展開していくべったりとした主張の強さ、味わいのなさが、 
 日本語に向いているとはおもえんのや 
  
 感情はもっとじわりじわりと弧を描きながら高まっていって、ふっと空中に消えていくもんとちゃうやろか  

最後にサウンド! 
  
 今の邦楽はロック(ビートルズ、とゆうても差し支えない)の影響を受けたんが基本 
  
 ドラム、ギター、ベース・・・これらがあって始めて音楽と認識する(笑) 
  
 ほんまにあほらしことやけど、ドラムでリズムを刻んで、ベースが低音をならして、ギターがじゃかじゃかいわんと「若者っぽくない」 
 この定式を崩したい 
  
 そもそもこれらの楽器は、近代になって英語文化圏でうまれたもん 
 少人数の”バンド”が音楽をやるときに、旋律の主従とリズムとを単純に役割分担したもんや 
  
 この考え方自体は確かに合理的で単純明快やけども、昔の日本の音楽を振り返ってみたときに、 
 まずリズムにしろ低音にしろ、そんなもんは存在せんかったわけで、なんでそこを皆疑問に思わんのか不思議やで 
  
 日本の”バンド”的なもんとして、三曲っちゅうもんがある 
 これは筝、三味線、胡弓からなる音楽で、どれも弦楽器 
 三味線が骨、筝が肉、胡弓が皮といわれとって、三つの楽器のユニゾンによってえもいわれんサウンドをつくりあげとったんや 
  
 昔こういうもんがあったから、それに従えとはいわん 
 ロックかて、かつてのクラシックとは別もんやしな 
 ただ、何で伝統を振り返って、こういう考え方もあるなあ、ということを考えないのか、 
 その思考停止したところに、創作者の姿勢として疑問を呈したい  
  
 音楽を拍子、旋律、和声の三要素に分類したんは、西洋やけど、そんなんを真に受ける必要もない 
 この三つが備わって初めて音楽、みたいな視野の狭い考え方が、街中にあふれる音楽的なもの、への発見からとおざけとるし、 
 音楽への携わり方を工業的にしとるんや 
  
 今のDTMerなんて、コード(和声)つけて、ドラム(拍子)つけて、旋律(旋律)つけて、最後に小細工して歌のしたらそれでしまいおもとる 
  
 音楽はもっと自然にうまれるもんやし、特に歌の場合、言語との関係性を無視はでけんのや 

ロックの形式だけを受けついで、その中でうまいこと日本語と折り合いをつけるんを、ロックの成立条件としとるんやから滑稽やわ 
  
 あの下に叩きつけるようなパーカッションはな、英語の発音を真似たもんや 
 あのゆがんだギターはな、金属音の多い英語やからかろうじて歌が負けずにおれるんや 
 あのベースはな、トニック、ドミナントの無理のある急激な変化を支えるためのもんや 
 あのシンコベーションはな、韻を踏みやすい英語の特長をさらに活かすために編み出されたもんや 
  
 全部英語音楽の文脈から自然発生したもんや 
 それを何の考えも無しに、日本人の母音主体のそのまま受け継ぐって、お前らははずかしないんか! 


日本語はな、英語とちごて、高低アクセントなんや 
 普通にしゃべっても、それだけで旋律にきこえるんや 
 小鳥が歌うようにな 
  
 たとえば 
  
 だるまさんがころんだ 
  
 標準語やと、 
 だるまさんがころんだ 
 ↓↑↑↑↑↑↓↑↑↑ 
 関西弁やと、 
 ぼうさんがへをこいた 
 ↓↓↓↑↑↓↑↓↓↑ 
  
 な、言葉がちがえば、旋律もちがうやろ? 
  
 最近はその自然な旋律をを無視して作曲しとるから、上っ面だけの感動をよばん歌がおおいねん 
  
 言葉に旋律が含まれる以上、詞先を中心に、曲先でひねりつをつけるやり方がただしいんやろうと思うで 
 楽器と鉛筆、どっちを先に握るべきかゆうと、そら鉛筆なんや 


   

2011/08/01 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:10 ト ラ ッ ク バ ッ ク: トラックバックユ・ア・レル 

日の丸に代わる新しい国旗を!!!

昨日発表するはずだったのですが、遅れて申し訳ございません。

わたしの次なる芸術活動とは、国旗です。



そう、日の丸に代わる、新しい国旗。


この国にふさわしい国旗を、考えたいのです。


思えばこの日の丸という旗、外国への対抗意識から薩摩藩(あの軍国主義の・・・)が考案したもの!

時は鎖国中の江戸時代。彼らは外国への脅威に対し、日本を象徴するのは太陽がよいだろうということで、急ごしらえでこのような旗を作ったのです。

しかし私に言わせれば、この国旗は非常につまらない。
何がつまらないかというと、歴史の経緯から見てまず外国への対抗意識から生まれたというのが面白くないし、軍国主義者の無粋なセンスが前面に出ているのも気に食わない。

明治のころは、このような国旗でもよかったのでしょうが・・・。

しかし僕は、日本は文化の国であるべきと思うのです。

この旗を生んだ薩摩、九州の土壌が強い愛国心を持った土地であるのは分かりますが、彼らの言う愛国心とはテリトリーの意識であり、軍人の考える愛国主義です。

わたしはそれに異を唱えたい。

これからは槍を天に掲げる国家意識ではなく、芸術、哲学、美の文化による国家意識を持つべきであると。


そして、その中心となるのは、伝統文化の中心として栄えた上方です。

ちょうど時代は橋下知事をはじめとして地方分権が叫ばれる時代。

さて、この若き大阪府知事は、本気で大阪を独立させようと考えています

あえて、はっきりといいましょう。私怪獣の子供は、橋下知事を全力で支持します!


芸術家としてどのような形で応援できるかを考えた結果、いたったのが、関西文化の統一、いいえ、象徴を芸術として昇華するものを作ることでした。

というわけで、怪獣の子供のこの大きな挑戦を、皆さん見守ってください。

もっとも、この挑戦には、関西には天ちゃんがいないという課題がありますが、そこはまあ、陛下が必ずご帰還くださることを信じた上で、企画を進めたいと思います。

日本弥栄!

2011/08/01 ヘンシウ 仕分け:未選択 感想:192 ト ラ ッ ク バ ッ ク: トラックバックユ・ア・レル 

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自己紹介:
活動…
作曲、CG、絵画、文学などの創作発表活動、雅楽バンド、日本アニメ浄化活動、児童ポルノ規正法強化推進活動

好きな食べ物…てんぷらうどんが大好物です
苦手な食べ物…
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好きな映画・音楽・作家など…
映画…ルーカス、黒澤、小津など
音楽…民族音楽(特に日本、ペルシア)、QUEEN
作家…貴志祐介、岡本太郎
 
 
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