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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
すぐれた音楽家ほど自分たちの文化に学ぶことを知っとる QUEENがヨーロッパ流のコーラスやオペラ文化からロックを革命し、 ビートルズが英語を自在に操り言葉遊びとユーモアの世界を展開したように 日本も浄瑠璃や歌舞伎(ゆうとくが、こんなオペラ文化が独自にある国はそうそうない)の構成力・表現手法、 和歌や都都逸、落語から言葉遊びやユーモアを学ぶべきなんや どいつもこいつも、今の音楽界にばかり気をとられて、想像する力をなくしとんねん フレディがBohemian Rhapsodyを作曲するまで、バラード+オペラ+ロックなんて考えもせんし想像もせんかった 今ある曲を聴いて「あんな格好良さを表現したい!」おもても、そんな衝動でつくったもんは所詮まがいもんなんや ある山の頂には、同じ道からはたどりつけんようになっとる 頂に至る道はいつかて獣道なんや ときには、その獣道すら見えんことかてある せやけど、不安になることはあらへん それはきっと今はみえへんだけなんや 道理をもつもんには、必ず頂がある それを信じて、月明かりの下をつきつめてったら、やがて・・・
2011/07/13 ヘンシウ 仕分け:主義・主張 感想:100 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
しゃれってのはまあ、駄洒落も含めた、ユーモアのことですわ。 唄に洒落っけは不可欠です。古くは都都逸、小唄、川柳、俳句などなど、言葉遊びとユーモア、粋に溢れた音楽がたくさんありました。思えば落語かってそうです。言葉と音楽、どちらにかたむいとるかの違いだけであって、たとえば桂枝雀の落語なんて、ただ流れているだけでも音楽のようで、きいてるだけで気持ちよくなってきます。 それが、明治の軍国主義者ども、サッチョーやトーホクのズーズーたちによって、なんともつまらん、退屈なもんにかえられてもうた。 ・・・前にも言いましたが、文化は社会そのものです。演者と聴衆とがいっしょに高めあい、尊重しあうから、多くを語らない、知性の音楽がでけるんです(こないだ、怪獣は聴き手に対するサービスがたりんなんて阿呆がいましたが・・・)。 今は、演者も聴衆も、程度が低すぎます。 商業音楽は演者が、ボーカロ()などの宗教音楽は聴き手が、どちらか一方が歩み寄ることがもとめられとるから、洒落なんてもんはありません。新内節のような緊張の持続なんてもんがあるわけがなく、べちゃべちゃしたチャーハンやオムライスのような音楽しかでけへん。 日本独自の唄としてあげられるもんが二つあります。ひとつは演歌でもうひとつがビジュアル系ですが、これらに共通するのはその徹底した洒落っけのなさです。洒落っけを「深刻なことを笑い飛ばす」と定義するなら、ふたつともその反対の音楽です。 必死に、深刻ぶります。 いまどき「津軽海峡」みたいな激情恋愛する阿呆がおりますか?「ソンザイノフアン」やの、「ツギナルセカイヘノタビダチ」やの、そんなん真剣にかんがえとる阿呆がおるんですか? 支持しとるやつらも阿呆ばっかしです。 ビジュアル系を好むのってキモヲタが多いけど、むべなるかな、やね(ところで、海外のある国で日本のビジュアル系バンドをまねとるやつらがおるそうですが、もちろんその国とはドイツです笑)。 教養がない、知性がない、度量がない。 それが、戦後の日本の歌です。 かつては違いました。 http://www.youtube.com/watch?v=8fj1qlPQieI
http://www.youtube.com/watch?v=_lBSCgCDNIA なんとおおらかで、気取りのない。音楽的にも、今のやつらの百倍は独創的で、優れとります。 すわひでおなんかと比べてくださいよ(笑)。 ちなみに、上二つとも、上方の音楽家です。 むかしの上方は、こうやったんです。今の吉本(ゆうときますが、ヨシモトはトンキン企業です!)なんかに毒されるまえの、優雅で温かみにあふれた、『細雪』の時代の大阪。 ぼくはそのDNAをうけついどるはず。 なんとか、にほんの唄に、洒落の文化を復活さしてやりたいですね。
2011/07/07 ヘンシウ 仕分け:主義・主張 感想:133 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル