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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
みなさまにぜひお勧めしたい動画をひとつ。
浄瑠璃音楽の中でももっともソフィスティケイトされたといわれる、新内節から『明鳥夢・花雪』です
http://www.youtube.com/watch?v=HWBwuVgnNck&feature=channel_video_title
最終段にふさわしい熱い、あまりにも熱い演奏。
この拍に収まらないビート感といったら、プログレロック的ですらあります。
いや、音の変化のつけかたの洗練さ、なめらかさといい、はるかに先を行っているといえるでしょう。
特筆すべきはこの独特のリズムです。浄瑠璃音楽の語りは旋律は地味ながら、リズムが非常に特徴的。言いようによっては、よく外人にたとえられる「マシンガンのよう」なたん、たん、たんという日本語のしゃべり方なのですが、これがはまると凄く気持ちいいのです。
語りが弾丸を次々と発射するようなリズムなのに対し、謡いのパートの伸びやかなこと。極限まで一語を引き伸ばし、ビブラートをかけて、切なく歌い上げます。
この謡いの部分と語りの部分が滑らかに交互につながるのは、ひとえに旋律型を組み合わせた三味線の旋律があってこそなのです。
この三味線と歌い手の旋律・リズムの付かず離れず、不即不離の絶妙な間の掛け合いは、まさに間のハーモニーと言ったところ。
40秒からの「しのんでやねづたい~」の部分の、ユニゾンのようでいて、微妙に違った旋律、リズムを奏でる、この繊細な技術。
このパート、あまりにも自然なので意識しづらいのですが、徐々にテンポが速くなっていて、そのうえに変拍子的なリズム、さらにビブラートをきかせた唄が乗り、それを間の掛け合いであわせてしまうのだから、とんでもないアクロバット。なんという超絶技巧。しかもこの超絶技巧をまったく嫌味が無くやってのける。さらりと。
こんなに洗練された高度でセンスのよい音楽がほかにあるでしょうか。
この美しい掛け合いのあとには、1分13秒からの、三味線の重音の連打が待っています。この入りの自然なこと。この自然さは、代々浄瑠璃音楽が積み重ねてきた、旋律型という便利なものの積み重ねによってなせたものでしょう。
とにかく、この1分13秒からの三味線パートが、場の空気を一変させます。
この重音の荒々しい響きは、この後もたびたび頭を覗かせて、この新内初期の名曲を印象付けるものになっています。
浄瑠璃は女性から男性、優男から英傑、山の静けさから森の喧騒、地響きから化け物の咆哮まで、すべてを三味線と声によって表現します。
演劇ゆえにつなぎ目がなく、実に滑らかに流転していく。お酌をする女と、それを受ける男を、一瞬にして演じ分けるこのシンプルさの中に無限の表現を秘めた「型」の芸術は、落語にも通じるものがあります。
浄瑠璃音楽は繊細で、荒々しく、詩的で、哀しく、こっけいで、悦びや興奮に満ちた世界を次々と映し出す、音のパレードであり、新内節は江戸の洗練された引き算の美学が生んだ、日本演劇音楽の一つの到達点なのです。
2011/05/04 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:41 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
にほん の おんがく。
それは いのち の おんがく。
ぼいん の おんがく。
はな の ことば。
とり の ことば。
かぜ の ことば。
つき の ことば。
うす くら やみ。
すみ は は ぜ。
くすぐる。
くさ の におい。
たましい の よろこぶ こえ。
こきゅう する。
2011/04/16 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:55 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
しゅだい は こきゅう する おんがく。
くるま が はしり でんとう に てらされた まちに ひとすじの かげ を あたえる。
のろい を いのり を よみがえらせる。
やっと ぼく には みえてきた。
じだい に ひつよう な もの。
ぼく が いま うまれた こと の いみ。
こきゅう する おんがく。
それは まち の おんがく。
こどく の ための おんがく。
のろい いのる。
いのり のろう。
2011/04/16 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:16 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル