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2024/12/04 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
天台声明・海老原廣伸(対揚)
で検索してみてください。
凄いです。
声明は前からずっと気になっていたのですが、この曲を聴いて、声明の表現しようとしている世界が少し見えてきたように思います。
西洋の合唱の感覚から離れて見ないと、その本質は見えません。
僕は前々から、現代の音楽で、人間が歌を歌うときに「音程」を正確にとろうとあれこれと音を弾ませたり、テンポを速めたりするのを見ていて、妙なものだと思っていました。
特に、やはり自分も日本人だからか、日本人の日本の歌などは、不自然な日本語としか写らず、大層なことを歌った歌詞をなぞりながら、心をこめているふりをして頭の隅では技巧をこらそうとしている矛盾、小ざかしさばかりが透けて見えて、どうにも好きになれませんでした。
そんなときに見た、この声明。
声明にはれっきとした音程がありますが、なんというか、音程があって人がそれに合わせるのではないような気がするのですよ。
なんというか、あくまで声明でやろうとしているのは腹から「息」を通して外界に魂を放つことであって、「その結果として」音の高さが上下しているように見えるのです。
息を吐ききろうとしているときには、自然と音程が高くなりますから、力強く歌い上げようとしているときは上行するし、慰めるように優しく歌うときは下行する。
もちろん、三宝和讃などを聞いていると、美しい旋律があって、必ずしも純粋に旋律を意識していないかといういとそれは違うでしょうが、しかし、ベースの部分で、技巧うんぬんよりも、歌い手の情念や祈りを最優先にしていることは間違いない。
古代の人間の声というものの考え方、捉え方に感心いたしました。
もう一つ面白かったのが、声明のモノフォニーが決して退屈しないものであるということ。
同じ音程で歌い上げることに何の意味があるのか、というのが普通の感覚でしょうが、実際聴いてみると全く違う。
なんというか、低音を重ねることで薄っぺらな余計な部分が相対的に薄まって、声の筋のようなものが生じてきます。
一つのパートを歌い上げることが、芸術的に未開であるということは決してなく、また単に音量を増大するという効果を狙ったものではなく、モノフォニーでなければ絶対に成し得ない世界というのがあることを、最も分かり易く示してくれるのが声明ではないでしょうか。
2011/01/19 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:25 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
今回は「大衆に媚びる」ということを敢えてやろうと思っています。
大衆と芸術、二つをいかに両立し、相手を喜ばせつつも、少しずつ高次な芸術に教育していくか、というのがテーマであります。
ニコ厨の間ではやっている曲をいくつか聴いて見ました。
どうせ、ほとんど理解できないんだろうな、と思いながら。
空中庭園依存症、メルト、恋愛タイガーとやらを聞いてみたのですが、、、
衝撃でした。
ほとんど理解できない、というのは大間違いでした。
「全く」理解が出来ませんでした。
この曲の何がいいのか。
軽薄なサウンド、メリハリの無いありきたりな展開、魅力の無いメロディライン、機械的で余裕の無い、マシンガンのような音の置き方、、、
今の人たちはこんなものを聞いて満足しているんですか???
本当に、衝撃でした。
2011/01/17 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:78 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
サードアルバム、年末に発表といっておきながら、このありさまで申し訳ありません
充実したものにしたいという思いがあり、いましばらく時間がかかりそうです。
いい意味で、当初の予定以上に時間のかかりそうなのです。
もうしばし、お待ちください。
内訳は次の通りです。
りゅうをさがしに(未収録曲)
緩やかな死(未収録曲)
新作筝曲
いぬはなく(ミキシングアレンジ)
のどかな村(アレンジ)
新作『寒い日はお茶を飲んで』
新作『悲しい雨』
新作『水溜りのダンス』
新作『夜明け』
新作『銀河鉄道の夜』
なお、内容は急遽変更する可能性があります。
2011/01/09 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:39 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル