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2024/11/21 ヘンシウ 仕分け: ▲ トラックバックユ・ア・レル
<あたらしい音楽>創造のための、音楽研究は欠かしていません。
浄瑠璃と雅楽という二つの軸を中心にやっていきたいと思います。
とりあえず、今週の目標は・・・
・義太夫<野崎村>の完コピ
・雅楽の理論書 芝祐泰『雅楽通解』 を読む
この二つ。
浄瑠璃音楽の旋律型も収集したいですが、何かよいデータベースはありませんでしょうか。
2011/06/01 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:41 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
笙の和音に興味を持ち、越天楽を耳コピしとったんですが、やっとるうちにおもろいことに気づきました。
雅楽には西洋音楽の、調性音楽のような要素があるゆうことです。
――これは意外でした。しかし考えれば、和音をもちいとるゆう意味では、疑ってしかるべきやったのです。
調性とはゆうても、西洋のトニック、ドミナント・サブドミナントのような、音の上下による調性やないんです。
おおざっぱにゆうと、実は合竹(笙の和音のことです)には綺麗に響くのと汚く響くのと二種類あって、汚く響くものをサブドミナントのように、不安定さを臭わすための隠し味にしとるんです。
具体的にゆうと、汚く響く合竹をならしとるときに、竜笛や篳篥が転調したり、あるいは音階外の音を吹くのです。
その苦しそうな音色と不協和音が重なる瞬間が、じつに魅惑的。
さて、合竹にはつたわっとるうちに十種類あるんですが、それぞれに綺麗に響く度合いが異なります。
ひょっとしたら西洋のコードよりもよりグラジュアリーな「緊張」と「緩和」の可能性を、雅楽はもっとるのかもしれません。
義太夫・新内こそ現代に通じる音楽や、とこないだゆうたばかりですが、雅楽の要素を取り入れてみるのもおもろいかもしれません。
問題は、雅楽と浄瑠璃音楽があまりにもかけはなれとるということ。
雅楽が拍節がしっかりした音楽であるのに対し、浄瑠璃音楽は拍節におさまらない自由闊達さをもっとる。
大体、そもそも「育ち」に聖と俗という大きな対立があるんですから、二つを融合することは並大抵やないでしょう。
高慢で秘密主義の貴族のぼっちゃんと、庶民の人情に溢れたやんちゃ坊主が、どうやってなかようするんか、是非注目してみとってほしいですね。
2011/05/29 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:2 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
日本音楽には二つの太陽がある
腐敗しきった日本の音楽を復活させうる、希望の太陽
西と東に、ひとつずつ
西には義太夫
そして東は新内や
両者から学ぶことはあまりにも、あまりにも多い
日本語のための音楽
その言葉、旋律、拍、和音――現代日本人が悩み続けた、「日本語の歌」「日本人の音楽」
既に、答えは天にあるのだ
あとは、それに気づき、仰ぐだけだが、あいにく彼らの眼は、曇っている――
2011/05/27 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:63 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル