日本人に足りないほんまのもんとは???それは「ユ」で始まるあれです 2
日本の古典音楽を聴いていて感じるのは、陰影と重力の音楽であるということ。
陰影とはすなわち一音一音の「光」に、誕生から死までがあるということ。
もちろんそれはどんな音にも言えることなのですが、日本の音楽はその生と死の対照を大切にしており、それゆえテンポの遅く、音を無駄に重ねない、あの「間」が生まれたのだと思いますし、それに、その<光>それ自体が瞬間的に揺れていて、生を主張しているように聞こえるのです(つまり、同時に死も強調されるということです)。
そして重力というのは、日本の楽器の音には、垂直に沸き立つようなイメージがあるからのです。一つの音がおとなしく続くということがなく、時間という概念を感じさせない。私は日本音楽を沸き出でる泉によく例えるのですが、まさに垂直に湧き上がり、あるピークに達して、重力にいよいよ負けて消えてゆき、そしてその消えていく脇をまた別の音が沸きあがる……。こういう繰り返しで構成されているように思うのです。
何故「ユーモア」の話をしているときに、こんな関係の無いように思われる話をするかというと、前回の記事へのコメント欄の反応で、私の言いたいユーモアというものがあまり伝わっていないように感じたからです。
私がいうユーモアを、西洋的な意味で捉えてもらっては困ります。
敢えてユーモアなどという横文字を使ったために無用な混乱を招いたわけで、皆さんを責めるわけではないのです。ただ、とにかく、ここでいうユーモアというものは「笑いをいって場をなごませる力」とかそんなイメージではなく、そういう形として現れる前の、もっと根本的な意味で言っているということを理解ください。
ある同じ行動に移ろうとしたとき、その発現のしかたは民族によって違うのです。
ユーモアの場合、日本人のそれには<陰影の間>と<重力のあきらめ>があることをご理解いただきたい。そして、日本古典音楽が西洋人になかなか理解されないように、その性格の隔たりゆえに日本人のユーモアが理解されなかったのだということを肝に銘じてほしいのです。
そう、日本人はユーモアの無い人たちだと、長らく誤解されていました。もちろん日本人はあらゆる面で誤解されてきましたが、その中でもこの誤解は酷いと思います。
なにせ、ユーモアがないというのは知性・創造性・人間的魅力がないのと同じですからね。
しかし、断じてそうではない。ユーモアの無い人たちに、外国の文化を柔軟に受け止め、自分たちの文化を作り上げることなどできません。<さらにつづく>
2011/05/26 ヘンシウ 仕分け:主義・主張 感想:16 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル