日本の場合、拍、旋律、音色では
音色の不思議。 義太夫や新内を楽譜に起こしてみて初めて気づくんですが、音色によって音程というのは実に聞こえ方のちがいます。特に義太夫は太夫の声が太くしゃがれとって、野武士のよな印象の強いのに、実際には一般人やととても出せんよな高音でうたっとったりします。 笙にも同じような現象を見つけることのできます。合竹のあの不協和音が心地よく響くんは、調律の工夫や音の大きさを管ごとに変えとるというのもあるでしょうが、やはり笙特有の音色にあるんやないか。あれが例えばバグパイプのようなじぐざぐした波形の音色やったら、うるそうてたまらん思います。 音色へのこだわりはどこの国の民族音楽でも根強いです。西洋近代だけが、特殊なんです。 近代西洋音楽では楽譜の発明により、旋律と拍子厳密に記録することに成功しましたが、一方で楽器に対する音色の執着を忘れてもうた部分がある。 ロックのエレキギターやシンセサイザーを多用した現代の音楽は、音色への執着への先祖がえりといったとこやないやろか。 楽器が音のゆがみを求める一方で、向こうではロッカーですら、声については未だに透き通った声がええというような、クラシックの伝統がいきついどる気もします。 ハスキーボイスはどこの国でももてはやされますが、あちらのいうハスキーは音程の印象を変えさせるほどのものではなく、あくまで歌いだしにさっと変化を与えるための隠し味といった感じで、実際にうたっとるのを聴くと、喉をひらききったあちらの伝統の歌い方であることに変わりはありません。 日本もやはりかぶれにかぶれて向こうの歌い方をまねとるようです(昔はここまでとちゃいました。演歌のような辛気臭い歌い方がはやる一方で、実は森進一のような、新内にしか聞こえない歌い方をする人がおった。今でも近所の銭湯なんかで、爺さんが新内的な空気の漏れる歌い方をしとるのを見ることがありますが・・・)。 僕はもっと音色っちゅうもんを、ただの味付けやなくて、音楽に対して直接的に作用するような面白い方向にもっていけへんかなと思います。 楽譜やピアノロールで作曲しとると、ついつい抽象的な領域でばかり考えがちで、理論を元に作ったり、楽器の音色は後でえらべばいい、というような安易さに陥りがちです。 しかし音楽とはほんまは、まず具体的な楽器、人、ものがあって、それから抽象的な作為・表現に至るもんです。 ピアノロールで音程決めに試行錯誤すんのとおなじように、音色にもこだわりながらつくってきたい。いや、むしろ音色と表現したいもんを相談することで世界が広がっていくような、そういう流れにこだわりたいですね。
2011/08/05 ヘンシウ 仕分け:創作<作曲> 感想:4 ト ラ ッ ク バ ッ ク: ▲ トラックバックユ・ア・レル
無題
もしかして吹奏楽とか聞いたこと無い?
シズ 2011/08/05 17:05 ヘンシウ ヘンシン
>もしかして吹奏楽とか聞いたこと無い?
具体的に教えてください
かいじうのこども 2011/08/05 17:17